子供のころに戻る
最近読んでいた本に、「子供の頃に戻りたいという気持ちが分からない」という著者の主張があった。
これには自分も同意見だ。
別に子供のころに悪い思い出が沢山あるとかそういう理由ではない。
あのころより今は圧倒的に自由だと思うからだ。
思い返せば、親に守られてて何も出来ない子どもだったなぁ。
それくらい大事に育てられたとも言えるけれども。
まとまった時間
まとまった時間が出来たらやろうと思っていても、そんな時は永遠に来ないのだ。そう思った時点でモチベーションは低く、万が一時間が出来ても他の事(得てしてくだらない事)に費やしてしまうだろう。
昔は時間があった。しかし、時間が余っているからこそ危機感がなく、面倒な気持ちが勝ってしまい、とりあえずTODOに入れて溜飲を下げてしまう。
今は昔と比べると時間がない。結婚もして子供も出来たので、自由に使える時間は大幅に減ってしまった。そうなった事に後悔は全くない。むしろ自分の人生にとって素晴らしい出来事だ。
しかし、エンジニアとしての危機感は募る。自分は周りの同業者に対して劣等感を抱いているので、ますます差がついてしまうのではないかと感じてしまう。(他人の一部分と比較してただ落ち込むだけ、というのは意味が無いので止めた方がいいが、ついやってしまう。にんげんだもの。)
そういった危機感からか、昔よりは時間を効率的に使えている気がする。昔からギリギリにならないと動かない性格だったので、自分はそういう人間なんだろう。この性格を上手くハンドリングすることが重要だと思う。
コツコツ
より良い環境
開発環境が悪いところでは働きたくない。効率的ではないし、ストレスが溜まるからだ。だからこそ環境構築には時間を割いている。
そうなると、チーム内での役割はメンバーサポート的な立ち位置となる。全体のコストを下げる、効率を上げるのはとても重要だし、やりがいのある仕事だ。
しかし、チーム内に平均より出来ない人がいる場合、その人のサポートコストがとても高くなってしまう。質問に答える場合は集中が途切れるし、何より時間が割かれる。これはとてもストレスがたまる。
もちろん誰しも最初から何でも出来るわけではないが、成長を止めてしまったように見受けられる人が少なからずいる。そういった人には、背景や理由を含めて詳細な説明をしても、解決したことに満足してしまう。不明な点があっても、関係ないと判断してスルーしてしまう。
こういった人材を参画させるべきではないとは思うのだが、自分にその権限がない場合はどうにもならない。もちろん、全体の効率を下げている旨を定期的に報告しているが、なかなか思ったとおりには行かない。
もっと丁寧に、だれでも分かるような仕組みを作るべきだろうか。意識を改革してもらうよう働きかけるべきだろうか。自分にはその時間が勿体なく感じてしまう。ただでさえ自分はまだまだ技術力不足だと感じているのに、他人のために時間を余分に割くのは苦痛だ。
結局は今の環境が少しでも良くなるよう努力するか、今の環境を離れるかのどちらかを選ぶしか無い。今の環境を離れ、より良い環境にいくには、日頃から自分の技術力を高めておく必要がある。
こんな事をモヤモヤと考えることが多くなった気がする。
始
悶々と考えたことは何処かに吐き出すほうが良いかもしれない、と思ったので場所を作ってみた。